[検索画面に戻る] キーワード 投稿者:TAO_031655件見つかりました。

5121件目   可能性は認めるけど・・・   投稿者:TAO_0316   2001年7月10日 午後 2時33分

こんちは。
はじめて、返信します。

私は、幸福の科学の三帰信者の
ひとりですが、
あなたの言っている事は、
あまりにも、根拠が薄弱です。

大体、どこから、その波動だかのデータが
出てきたか、おっしゃれないというのが
よくわかりません。
掲示板で多くの人にメッセージを送るので
あれば、参考文献なり、
そのような言説を行っている人物の名前を
記するなりするのが誠実な ヤ度でしょう。

それができないのであれば、
その説を公表すべきではありません。

大川隆法総裁先生は、
そのような、お話を公で
されたのでしょうか?
私は、聞いたことがありません。
総裁先生が認めていないことを
さも、幸福の科学の説として述べることは
法を曲げることになりかねません。

こういう場合は、あくまでも、
自分の個人的な意見であるということを
はっきりと明記すべきであると思います。

以上、わたくしの意見を述べさせて
いただきました。
(これは gamandesune さんのメッセージ5120に対する返信です)


5201件目   こんにちは   投稿者:TAO_0316   2001年7月15日 午後 1時51分

私は、2ちゃんねる現役会員スレッドで、
イカれた書き込みをしている“坊ちゃん”です(笑)。
いつも、楽しくROMさせていただいてます。

幸福の科学に否定的な人も、よく勉強されているので、信仰心の大切さを訴えるのは、
なかなかたいへんでしょうが、がむばってください。
私は、幸福の科学の内部批判もするし、批判者に反論もするというコウモリ人間なので、
楽なもんです(笑)。

そこで、『幸福供養際 特別御法話』に出てくる「キサーゴータミーの話」を引用して、
エールを送ります。
-------------------------------------------------------------------------------
 今から二千五百数十年前のインドの釈迦の時代、祇園精舎があったシュラーバスティーという町に、キサーゴータミーという女性がいました。
 この女性は、自分の小さな息子を亡くしてしまい、半狂乱になって、もう世も終わりであるような気がしていました。しかし、祇園精舎にはお釈迦様がおられるのだから、これは何とか助けてもらおうと思い、その男の子の死骸を抱いて、「お釈迦様、私のかわいいかわいい子供が死んでしまいました。何も悪いことをしていないのに、こんなことはないと思います。これから一生懸命大きくなって生きていこうとしていたのに、死んでしまいました。こんな無慈悲なことがあるでしょうか。それでは神も仏もないではないですか。どうぞ生き返らせてください。お釈迦様の持っている神通力でもって、生き返らせてください。お願いい スします」と嘆願してきたのです。
 そこで釈尊は、「いや、そんなことはできない」とは言いませんでした。「そうか、わかった。では、生き返らせてあげよう。その代わり、一つだけ条件がある。あなたは町へ行って、いまだ死者を出したことのない家から、芥子種をもらってきなさい。そうしたら、私がこの子を生き返らせてあげよう」と答えたのです。
 キサーゴータミーは、その話を聞いて一目散に町に出て行って、芥子種ぐらいならどこにでもあると思って尋ね歩くのです。ところが、芥子種はどこの家にもあったのですが、死者を出したことのない家は、どこにもなかったのです。どこの家に行っても、「うちも、お父さんが死にました」「子供が死にました」「おじいさんが死にました」「おばあさんが死にました」――誰かが必ず死んでいるのです。芥子種はあったけれども、いまだかつて死者を出したことのない家はなかったのです。
 そして戻ってきて、釈迦に「いろいろな家を訪ねてみましたが、芥子種はあったけれども、死者を出したことのない家というのはありませんでした。このシュラーバスティーの町のなかで、そのような所はありませんでした」と言うと、釈迦 ヘ「ゴータミーよ。よくわかったね。そのとおり。死者を出さない家というのはないんだよ。いまだかつて、死んだことのない人というのはいないのだよ。どのような人でも、必ずこの世を去って行くのだよ。そのように、世の中は無常なのだ。その無常な世の中を生きているからこそ、人間はそのなかで悟りを開くことが必要なのだ。悟りを開くことによって、無常な世の中に生きていながら、幸福というものを知ることができるのだよ」という話をしたのです。それが縁となって、このゴータミーもやがて出家して、釈迦教団に入るわけです。これは、有名な話の一つです。
-----------------------------------------------------------------
あえて、ゴータミーに芥子種を探しに行かせて、
その様子を、たぶん釈尊は神通力でじっと見守っていたんだろう。
そして、ゴータミーが新築したばかりの家に行って、「うちは死者が出ていないよ」
などと言われないよう、そういう家には神通力で行かせないようにして(泣笑)。
そんなところに、釈尊のせつない思いやりを感じるのは私だけだろうか。
(これは Thoth_Hermes_Project さんのメッセージ5200に対する返信です)


5211件目   みつけました   投稿者:TAO_0316   2001年7月16日 午前 3時38分

それは、『ノストラダムスの新予言』ですね。
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[29]人造人間(サイボーグ)との間に差別問題が起きる

善川:この時点で男女の社会的な条件、生活環境というものは現在と比較してそう大きな変化はありませんか。
ヨハネ:この時代になると、たとえばイエスの時代、新生イエスの時代になってきますと、人間の両親によって生まれた男女と、それ以外の人間とが出てきます。
善川:ということは試験管ベビーということですか。
ヨハネ:人工的に造れる人間が出てくるのです。その頃には、またそれが、現在の黒人問題や、奴隷問題と同じような人種の問題になってきます。要するに人間の両親の結合のもとに生まれた男女と、科学的な人造人間として作られた、そして特殊な能力者によって魂を招霊されてそして入られた、そうした人間、二種類できてくるんです。今までは、人体というのは天降って来て、天上界でつくられ ト思念によってできてきたものでありますが地上界でも人体を造る動きが出てきます。そして、人間の男女を両親とした人間と、そうでない人間との間で、さまざまな問題が出てきます。現在の人種問題のようなものが出てきます。人体を造るようになってきます。
善川:人造人間というような人類、まあ人種ですか、そういうのは、天上界高級霊なり、神の意志に添っておるのですか、反しておるわけではないのですか。
ヨハネ:そうではありませんが、最初人類はそうしたものを奴隷として、奴隷のように使おうとして造りはじめるのです。まず、自分たちがもっと精神的に発達したいがために、自分たちの日常を、埋め合わす必要でもって奴隷的な役割としてそういう人造人間をつくって、もちろん招霊するんですが、それに宿る魂というのが、まあどちらかというと未発達の魂が多いために、ずい分混乱を起こしていきます。
善川:その時にはその人造人間は人工的に男女の造り分けというのはできるのですか。
ヨハネ:そうです。できるようになっているはずです。ただそこに本来の人間との間に人間関係の葛藤というものが出てきます。
善川:まあそこにも一つの社会問題とい 、ものが現れてくるわけですね。
ヨハネ:出てきます。
(これは calltree さんのメッセージ5210に対する返信です)


5230件目   ほんとむつかしい   投稿者:TAO_0316   2001年7月17日 午前 1時17分

現在の技術でも、おそらくクローン人間とか作ろうと思えば作れるんだろう。

でもよー、だれの魂がそのクローンの中に入るんだ?
オレはやだなー。
指導霊とかに「おまえは下品だからすこしクローン人間に入って修行しなさい」
とか言われたらどうしようΣ( ̄ロ ̄lll) !!

あと、気が付いてみたら、ロボコップになっていたとかいうのも、
ずぇーーーったい、ヤダ!
(これは calltree さんのメッセージ5228に対する返信です)


5248件目   Re:バカボンな話   投稿者:TAO_0316   2001年7月19日 午後12時16分

あなたの記憶は、合っています。

ご講義書籍『幸福への道標・講義』p.36より
>ちなみに、当時、世尊というのは、サンスクリット語で
>「バガバット(bhagavat)」(「バガヴァン」とも表記され、「薄伽梵(ばがぼん)」
>と音写される)と言われていました。

実際、お話されたときには、さらに、
「大川隆法、天才バカボン説というのがありますが、
これは、あながち根拠のないことでは、ないんですね」
というような事を、笑いながらおっしゃっていた記憶があります。
(これは WW_R2 さんのメッセージ5242に対する返信です)


5272件目   やる気の革命   投稿者:TAO_0316   2001年7月20日 午後 2時14分

なんか最近、こう、グーっとみんなの気持ちが盛り上がってきてるなあ。
いいぞ、いいぞ。
自分の思っていることを、どんどん書き込もうぜ。
批判者の人たちも、遠慮しないで、バンバンきてきて。
オイラ、マゾっ気あるから、快感だったりして(笑)。
にぎやかなほうが楽しいヨ♪

家政婦さんとかどうしちゃったのかなあ。
もしかして俺のせいで、なにも言わなくなっちゃったのかなあ。
「煮ても焼いても食えない奴が来やがった」とか思ってるのかなあ。

俺も、失いかけてた情熱がね、また、もくもくと湧いてきたよーん。
「もくもく」とか言うと、悪想念の煙みたいでよくないか・・・。
でも、まあ、いっか。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


5273件目   やる気の革命2   投稿者:TAO_0316   2001年7月20日 午後 3時34分

ある霊人のメッセージをお届けします。
誰かは言わない。ひ・み・つ(@ ̄w ̄@)ぷ
-----------------------------------------------------
 今の社会を見ていると、ほんとうは有能な人はいっぱいおるんですが、つぶれていくんですね。埋もれていきます。二十代、三十代で埋もれていくんですね。残念です。管理職になるまで二十年かかるようになっていますね。そして、たまたま優秀な人がいて、それをしようとしても嫉妬で殺されてしまうんですね。いられなくなります。こういう社会の価値観をなんとか買える必要があると思いますね。
 えーこのためには、どうしたらいいかということですが、価値の基準をね、少しずらしてみるんです。社会の意識を変えていくんですね。意識を変えていって、そしてね指導力というものの比重をもっと上げてみるんです。もっと上げるんだ。リーダー的素質に対する、評点、評価っていうのをもっと上げるんだね。
 仕事でも単にだれでもやれるような仕事はできるというよりも、統率力のある人っていうのはね、もうちょっと評価する方向でいけば、ぼくはいいと思うね。それを重視していくんだよ。パッとね。これは現在の評価方法が少し違っていると思う。あと、商売の上手な人、書類づくりの上手な人、電話の受け応えの上手な人、いろいろいるでしょうけど、この指導力っていうところにね、もっともっと光をあてないと今後の社会の変革はできないと思います。
 これは、サラリーマン社会だけじゃあありません。ほかの社会においてもそうです。やはり、指導力のある方が頭角を現していけるようにしなけりゃあいけない。そのためにはどうしたらいいかというと、まずね、多くの人たちが指導力のある人、指導者というのをね、尊敬する風潮をつくっていく必要があるよ。
 戦後、何ていうか変な草の根民主主義になっちゃって、出るクイは打たれてねえ、そして指導者っていうのはみんな悪者扱いされるという、マスコミの嫉妬にあって悪者扱いされているけれども、やはりみんなが尊敬できるような指導者像をつくっていこうじゃないか。マスコミの諸君にも言っておきたいけど、偉い人見たらたたいておけ、それが正義だと思うのは、これは間違っていますよ。
 ほんとうの正義はそうじゃない。ほんとうの正義っていうのはね、指導力を発揮するなかで出てくるんだよ。ほんとうの正義はそこにあるんだよ。そうじゃなくて、指導者になっていく人たちを嫉妬してね、たたきのめしたりね、そしてお金を儲けているなんてワーワー言ったり、こんなことするのが正義じゃないんだよ。君たちの正義はこれは嫉妬心ですよ。嫉妬心の合理化のことを正義と言っている。
 そうではないということ、これを大衆の声の反映なんていっちゃあいけない。大衆っていうのはね、躍らされるんだあ、君たちの力によって。むしろ、大衆の尊敬を集めるような人に、スポットを当てていかなきゃだめですよ。こういう人はすばらしいというのにスポットを当てていかねば。そして、指導者待望論を出していかねばだめですよ。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5272に対する返信です)


5274件目   やる気の革命3   投稿者:TAO_0316   2001年7月20日 午後 3時37分

 マスコミの諸君よ、指導者待望論を出しなさい。こういう指導者が望まれるというようなのをね、理想的な指導者を探しなさい。そして光を当てていきなさい。紹介しなさい。そこで、初めて人びとはね、いわゆる大衆はね、そういう人みたいになりたいと思うんですよ。その人を理想とするわけです。
 今の日本で必要なのは理想像です。いいですか、とくに新聞社、それから報道関係の人、雑誌、こういう人たちに言っておきたい。声を大にして言っておきたい。理想像というのをね、あなたがたが探し出すのが仕事だよ。これから。これを間違えちゃいけないよ。
 理想像、人びとがモデルとする人、人びとがこういうふうにならねばならんと思う人。これを発掘するんですよ。そして、偉大なる現代の指導者をつくっていかねばならない。指導者をつくりだしていくのがあなたがたの、ほんとうの仕事ですよ。いいですか、芽のうちに摘んでしまうとかね、スキャンダルばっかり探しているんじゃなくて、こんなことじゃあ恥ずかしいですよ。地獄的です。きわめて地獄的な仕事をしています。あなたがたはもっといい仕事をしなければいけない。日本のなかですばらしい指導者をつくっていく。国際社会にも通用するような、そういう理想的人格を育てていく。それがマスコミじゃあないかね。
 そういうものに発見されて、そしてほめられることによって、指導者というのは伸びていくんですよ。そういうことをしたらみんなヒットラーになるなんて思ったら、それは間違いですよ。それは単細胞ですよ。そうじゃありませんかね。それは正当に評価しないからです。一人の人間が失敗したからって、ほかの人がみんなそうなるって限ってないでしょう、違いますか。理想像をいっぱいつくっていくことです。そのなかにほんとうのすばらしいものが出てきます。人を育てるということを考えなきゃいけませんね。私はそれはひじょうにだいじなことだと思います。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5273に対する返信です)


5275件目   やる気の革命4   投稿者:TAO_0316   2001年7月20日 午後 3時38分

 ですから、意識の改革のためには、まず指導力というのはどれほどだいじかということをね、現代の人は知る必要がある。指導力というところでは、巨人と凡庸の人との間にはきわめて大きな違いがあります。凡庸な人であればねえ、課長も務まりません。課長というのはだいたい四、五人の部下を持っていますが、四、五人の部下の統率もできないんです、凡庸な人はね。ところが偉大なる指導者はね、何万、何十万、何百万、あるいは一億、それ以上の人びとを統率することもできるんです。この違いはひじょうに大きな違いです。
 この違いはいったい何であるかと言えば、これはある意味において、霊的世界の力の差をそこに現しているんだと思います。こうした指導力の差は、実は霊的な力の差を現している。どれだけ多くの人を掌握し、影響できるかということを意味しているんですよ。したがって、指導力を真に発揮していく道は、ある意味で霊格を高めていく道であるんですよ。いいですか、みなさん、そういうことなんですよ。
 だから、自分は頭が弱いとか、情に疎いとか思う人もいるかもしれないけども、この指導力というものを伸ばしていくことによって、霊的に悟りを高めていくことも可能なんですよ。これも一つの悟りの方法ですよ。赤色光線による悟り、だれも説かないから、モーゼに代わってぼくが説くけれども、指導力を増していくということも一つの悟りなんですよ。多くの人たちを導いていけるからね。やせ男、やさ男があなた、羊を追い回したって羊はついてこないんですよ。ところが、でかい男がね、一生懸命「こっちこーい。」って大声で叫んで呼べば、百頭の羊はついてくるんですよ。それも大きな仕事じゃあないですか。そう思いませんか。そういうことなんですよ、いいですか。だからまず、指導力ということに対する評価、これを高めなさい。そして自分自身のなかの指導力を伸ばしていこうとしなさい。これが第一にぜひともしてほしいことです。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5274に対する返信です)


5294件目   やる気の革命5   投稿者:TAO_0316   2001年7月21日 午後 5時42分

みんな、やる気について討論してるな(^o^)。
引き続き、「謎の霊人」からのメッセージ。
彼 フ文体は、非常にインターネット的だと思うが、どうでしょうか?
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第二番目にしてほしいこと。
これは正義のところにも関係があると思いますが、
いろんな指導霊にまあ義理もあるが、
あえて言わせていただくとすると、
やっぱり愛のところをもっとぼくは強調しておきたいね、愛。
愛と言ったってわからんかもしらんが、
まあ、正義の延長で言やぁ、「義を見てせざるは勇なきなり」じゃあないが、
人が困っているのを見てね、
無関心でいられるようなこんな人間になるな!
そうぼくは言いたいんですよ。その冷淡な、無関心な人が多すぎる。

あまりにも、こんな人ばっかりつくり出した現代の日本社会ゆがんでいますよ。
病巣ですよ。もう、これは一種の病理現象ですね。
ぼくはそういうふうに思いますよ。
人が苦しんでいるのに、知らん顔をしている人。
人がたとえば危害を加えられていても、そ知らぬ顔をして逃げる人。
ぼくはね、都会的なこの無関心っていうか、冷淡さって大嫌いなんですよ。
ほんとう、そう思っています。
なんで、みんなもっと助け合わないのか、知らんふりをするのか。
人が間違っていると思ったらどうして教えてやらないんだ。
そんなことを、何か恥ずかしいことのように思ってね、そしてジクジクしている。
そして、他人とのかかわりを断ってね、
とにかく自分は自分の心さえ守れたらいいっていうような、
こんな人が多すぎるよ。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5275に対する返信です)


5295件目   やる気の革命6   投稿者:TAO_0316   2001年7月21日 午後 5時45分

ぼくは大森の家に住んでいたときも、まあちっちゃい家ですけど、
人はずいぶん来ましたね。
ワイワイワイワイ来て、そして飯食って帰ったりするもんだから
まあ仕事はできないし、頭はパープリンになっちゃうしね、
ほんとうに困っちゃいましたが、
これは、仕事本位でいけばまあそれはいけないんだけど、ぼくの気持ちですよ、
気持ちとしてね、何て言うかなあ、とにかく人がね、こう愛を求めているっちゅうか、
何とかしてほしいと思ったりしているときにね、
一肌も二肌も脱がないとぼくはおれないんですよ。
ぼくはそういう性格です。これがマイナスかもしれません。
マイナスといやあマイナスでしょう。
だから、早く死んだんでしょう。
四十八歳ぐらいでおっちんじゃったのは、こういう理由でしょうね。

だから、何ちゅうか、ぼくはじっとしていられないんですよ。
いろいろな困った人がいるとね。
それで、できればみんなにも都会的な優等生の考えじゃあなくて、
田舎臭いかもしらんけど、こういう気持ち持ってほしいんだ。
電車のなかでも、職場のなかでも、職場を離れた世界でもね、
あまりにも遠慮しすぎるんじゃないかな、みんなね。
人に対して、言ってあげることについて遠慮しすぎるんじゃないかな。
だから間違っていると思ったら、どんどん言ってあげたらいいと思うし、
困っているなと思ったらスッと手を差しのべてやることですよ。
それはね、溺れている人に手を差しのべて、
自分も水のなかに落ち込んじゃうこともあるけどね。
あるけど、でも一生溺れている人を見殺しにしたっていう気持ちで苦しむよりは、
ほくはいいんじゃないかと思うんだよ。

いっしょに溺れちゃったらどうするんかという問題もあるが、
まあ、そのときは高橋信次の名でも呼んでくれえー。
そしたら迎えに行ってやるから。
ねえ、そしたらあなたのひっぱる力が強くて
ぼくまで溺れちゃったりするかもわからないけど、
まあ成仏するようにがんばって祈願してやるから。

まあ、これは一つの比喩だけどね、
だけど人が困っているときにはね、何とかしてやりたいっていう、
こういう気持ちは忘れないでほしいんだよ。
ほくはこの気持ち、今の日本人にものすごく不足していると思うよ。
むしろ人が困っているのを見て喜んでいるような人多いんじゃないか。
許しがたいですよ。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5294に対する返信です)


5296件目   やる気の革命7   投稿者:TAO_0316   2001年7月21日 午後 5時47分

だから、親はね、子供にそんな傾向が出たら、自分の子供がね、
人が困っているのを見たら喜んでいるようなそんな傾向が出たら、
こんなときはもうお尻ひっぱがしてパンパンしなさいよ。
ほんとうに、やらないとだめです。
こういうことを教えてやらないとなかなかわかんないんです。

人が困っている、人が不幸になっているときに見て、笑うような人はね、
こんなの放っておいちゃいけないですよ。
注意しなさい、ね。
「お前、人の不幸をそんなに喜んでいいのか。
人が困っているのに何と思っているんだ。人の不幸をあざわらうな。
人の不幸を喜ぶようなそんな気持ち持つな。」ということをね、
やっぱり言ってやらなきゃいけない。
一回言ってやると、多少わかることもあるんだ。
言わなきゃね、なかなかわかんないんですよ。

だから、そういう人が困っていること、
悩んでいることを見て知らん顔をして、
「ぼくはそういう人間なんですよ。」って言って逃げるタイプ、
ぼくは許しがたいです。
それはやっぱりお尻ペンペンしたくなります。
「だめだ!もっとちゃんとやれ!
人が困っているのだから手を差しのべなさい。
無関心でいるな、知らん顔するな、居眠りするな、狸寝入りするな。」
って言いたいですね。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5295に対する返信です)


5330件目   沈黙の仏陀   投稿者:TAO_0316   2001年7月22日 午後 6時42分

こんにちは、坊ちゃんです。
でも、ここでは、「タオ」という名前です。
複数の名前を持つと、なんだか偉くなったような気がする(笑)。

さて、あなたの投稿を見ますと、非常に大川総裁、そして幸福の科学に
関心を持っておられるようです。
ネガティブな意味でも、関心を持っているということは、
私にとっては、喜ばしいことです。
「愛」の反対は「憎しみ」であると、よく言われますが、
私は、「愛」の反対の究極は「無関心」であると思います。

で、あなたの一連の主張を見ると、
「大川隆法よ、ほんとの救世主なら出てきてみろ。出てこれないだろ」
と、挑発しているような感じに読めます。
そんな風にいわなくても、シンプルに「出てきて欲しい」と言えばいいのに(^^;
私も、出てきていただきたい。やっぱりうれしいもんね。

でも、表舞台に立たないからといって、なにも仕事をしていないとはいえないと思います。
大川総裁が、日々、何を考え、どのような仕事をしておられるか、
それは、わかりません。
もしかしたら、ここ数年、私たちの前に姿を現していなかった時期に、
すごく、お仕事をされていたのかもしれません。
偉大なる聖者は、人々の目につかないところで、大きな仕事をしているものです。

『沈黙の仏陀』という書籍があります。
「仏陀が沈黙しているときは、修行せよ」ということなのかもしれません。
(これは koremomatahibi さんのメッセージ5308に対する返信です)


5332件目   沈黙の仏陀2   投稿者:TAO_0316   2001年7月22日 午後 6時44分

もし、持っておられるならば、
『悟りに到る道』第3章のなかの「墨子に見る愛と善」を読み直してみてください。
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真実なる心を発見した人の特徴というものは、
利害に対する思いや、自分自身を満足させるとか、
よろこばせるとかいう思いが非常に弱くなり、
それ以外への思い――愛や善という、理想に向かう思いが非常に強くなっ トくるのです。

そういう人は、かたちは違えども、また大小があろうとも、
いつの時代にも生きているし、
みなさんのなかにもおそらくおられるだろうと思います。
ある会社のなかで働いていて、ほんとうは一生懸命つくしていて、
発展のために寄与していたけれども、
外見上は誤解されたり、まわりから批判をされたりして
過ごされた方もあるでしょう。
ところが後になって、その人が大きな力を持っていたことがわかることもあるし、
わからないままで過ぎてゆき、
「ああ、嫌いなやつがいなくなってよかった」と思われるだけのこともあります。
そういうこともありますが、
そのようなこの世の評価には無関係に、無頓着に、
己の心を知った人というのは生きているものであり、
そしてこの世の光であるわけです。
そんな方がいらっしゃいます。
(『悟りに到る道』p.140,141)
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5330に対する返信です)


5393件目   教学しようぜ   投稿者:TAO_0316   2001年7月24日 午後 6時25分

レスしていただき、どうもありがとうございます。

しかし、私の信仰心は、薄っぺらいゾ。
ふぐの刺身のように、向こうがすけて見えてしまうぐらい(笑)。
まあ、ふぐは食べたことないんだけど・・・。

それで、話は変わりますが、最近、私も含めてですが、
幸福の科学の会員の教学のレベルが落ちているんではないかと、危惧しています。
他の支部ではどうかわかりませんが、私の支部では、
月刊誌講習会がなくなって久しい。
そういう、コンスタントに学習していく機会が減っていくなか、
教学のレベルを維持していくのは、かなり個々人の自覚が必要でしょう。

正心館をはじめとする各精舎の研修は、公案、瞑想等の修法が中心ですので、
知的なベースを固めるという点では、あまり効果がないのではないかと思っています。
それどころか、精舎で神秘体験を経験し、霊的に敏感になってしまい、
普通の日常生活に戻ってから、いろいろ障害が出てくるのではないか。
自分が、善きものの影響を受けているか、悪しきものの影響を受けているかを
知るためにも、たゆまない仏法真理の学習が要求されます。

私は、幸福の科学の本部や支部の方針を敢えて批判したりも
していますが、そういうものに、完全に頼るという考え方も取っていません。
今、幸福の科学にとっての、大きな活動指針になる『奇跡の法』にも、
次のような記述があります。

>今の日本を変革するために必要なことは、
>やはり個人に光を当てることです。
>その個人とは、熱心な教育者や思想の唱導者であり、
>また、その思想を受けて、学びかつ行動する熱心な人々のことです。

>成功、不成功を単にシステムに起因するものと考えてはいけません。
>たとえば、教育がうまくいかないのは、
>熱心な先生が少なくなり、学ぶことに対して志を持っている人が
>減ってきたことに原因があります。

こういう言葉を他人事としてではなく、自分達の問題として考え、
じゃあ、私達ひとりひとりが、個人としてできることは、何なのかということを、
もっともっと突き詰めてゆかねばなりません。
それは、支部の方針に逆らうとかいうのではなく、
第3の道を探し出すことでありましょう。
(これは itinitiissyo さんのメッセージ5368に対する返信で キ)


5399件目   「信・行・学」って、何だっけ?   投稿者:TAO_0316   2001年7月25日 午後 6時30分

丁寧なレス、ありがとうございます。

ところで、質問です。
「信・行・学」について、詳しく説明されている法話は、何でしょうか?
『ザ・伝道』に載っていた法話に出ていたような記憶があるのですが、
そのころ、学習意欲の減退がピークだったもので(笑)、
よく憶えていないんです。

そういえば、リバティも最近読んでません。
雑誌と言えば、『秘伝』とか『格闘Kマガジン』ばっか読んでる(^^;
『リバティ』も読まなくちゃ、と反省しました。

最近の大川総裁の法話は、
青色系というより、ヘルメス意識がより強く出ている、と私は感じています。
まさに、「仏陀の時代からヘルメスの時代へ」移りつつあるのでしょう。

思想の抽象度からいえば、『悟りの挑戦』とか『心の挑戦』のが高いのでしょうが、
『繁栄の法』や『奇跡の法』は、政治や経済に関する、「世間解」が
要求されるのでしょう。
『理想国家日本の条件』を講演会で聴いたとき、当時の私は、
「この人、なにをいってるんだろう。宗教と関係ないやん。」
と、思った記憶があります(笑)。
(これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ5395に対する返信です)


5408件目   お答え、ありがとうございます   投稿者:TAO_0316   2001年7月26日 午後 6時52分

Redwoodさん、教えてくれてありがとうヾ(@^▽^@)ノ
感謝します。

『宗教のかたちについて』聴いてないんです。
ご講義経典か、テープがないか、今度探してみます。
(これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ5401に対する返信です)


5409件目   Re:自殺者は地獄行きは方便だと思います   投稿者:TAO_0316   2001年7月26日 午後 8時29分

自殺者が、すべて地獄に行くとは、大川総裁は言っていません。
その人のトータルの人生を見た時、プラスの部分が多い場合は、
天国に行く人もあるということです。
ですが、たいていの場合、自分が立てた人生計画を
途中放棄することになるので、
それによる後悔の念から、地獄で反省することになるようです。

また、別の見方をすれば、自殺と言うのは、
殺す役と殺される役割を一人で同時に行うわけです。
そのダブルの苦しみをこうむることになるので、
死んだ後、なかなか心の安らぎが得られないとも言えるんではないか。

ただ、この世には、「もう死ぬしかない」と思うような苦しみもあるようです。
大川総裁の『罪を許す力』という法話では、
かなりショッキングな例を話されていました。

>ある男女が高校時代に交際を始め、卒業後に結婚した。
>新婚旅行にハワイかなんかに行ったのだが、
>ホテルで旦那さんが奥さんを残してちょっと外出した。
>奥さんがホテルの部屋にひとり残っていると、
>外国人の暴漢が部屋に押し入り、彼女をレイプしてしまった。
>まあ、そのことも充分こころの傷になるが、
>その後、彼女は妊娠して出産したところ、
>自分達夫婦とは違う肌の色の子供が生まれて、
>彼女は自殺してしまった。

うわー、オイラこういう話ほんとうに嫌いなんだよ。
こういうことは、本当に起きて欲しくない、起きちゃいけないと思う。

それでねえ、大川総裁も
「こういう場合、生き抜けるかどうか。非常に難しいですね」
と、話されていました。
だってさあ、どうすんのよ。
そんな、自分達と明らかに肌の色が違う子供だぜ。
それも、父親は自分をレイプした奴だぜ。
苦しいよ。せつないよ。
それで育てていくにしたって、その子供が大きくなれば、
自分の出生の秘密をしるだろうしね。
自分達が育てるのをあきらめて、施設とかに預けるにしても、
それも、すごく心が痛むよね。

そういう場合、これは私個人の考えだけど、
自殺も致し方ないかな、と思う。
自分がそうなった場合、生きつづけられる自信はないよ。
(これは haibokusya4444 さんのメッセージ5402に対する返信です)


5410件目   Re:自殺者は地獄行きは方便だと思います2   投稿者:TAO_0316   2001年7月26日 午後 8時33分

haibokusyaさん自身は、たぶん、自殺を考えるようなところまでは
いってないんではないかと思います。
「社会的末端職業」なるものが、何を指しているのかはわかりませんが、
少なくとも、犯罪に堂々と関わるような仕事ではないと信じます。
ですから、もし、あなたが今の立場に不満を持っているとしたら、
それは、努力精進によって変えていける可能性もあるんではないか。
カルマというのは、たいてい悪い意味で使うほうが多いですが、
「よいカルマ」というのも、あるのです。
よい種をまき、それを育てることにより、よいカルマを形成することができる。
これが幸福の科学で説く、「縁起の理法」です。
さらに、そのカルマは、来世まで待たなくても、
今世において花開く可能性もおおいにあるのです。

まず、あなたは、「敗北者」というハンドルネームを捨てなければなりません。
その名前を使うことが、まず、悪しきカルマの形成になっているのです。
「勝利者」がしっくりこなければ、「敗北などないのだ」とか、
「敗北はヤダ」とかにすべきです(笑)。

そして、「社会的末端職業」という評価が世間の取るに足らない評価であり、
自分自身はその職業が合っていると思う ネらば、
そこで、スキルをアップして、指導者的立場になるよう努力すればよいと思います。
そうなれば、金銭面でのコンプレックスは解消されていくでしょう。
もし、その職業自体が嫌いで、自分に向いていないならば、
他の職業に替われるよう、職探しをしたり、
資格を取るための勉強をするしかないと思います。

すんなりとは、うまくいかないかもしれません。
しかし、縁起の理法を信じ、努力は決して無駄にならないことを信じるべきです。
仏神はあなたがたの不幸を願ってはいません。
必ず、真実の成功と繁栄のなかを突き進んでほしいと
願っているのです。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5409に対する返信です)


5425件目   インターネットによる大乗運動のアイデア   投稿者:TAO_0316   2001年7月27日 午後 5時54分

これを見ている幸福の科学会員のみなさん。
提案です。

在家会員の有志で、インターネット上に、
幸福の科学のデータベースを作れないだろうか。

まずは、大川隆法総裁の著作のデータ xースを作るのです。
キーワードを入力すると、それに関する書籍の名前とページ、
そして、引用文が出てくるようなやつ。

と、いうのは、最近、自分でも、
「この言葉は、どの本に載っていたのだろうか」ということで、
該当書籍を探し出すのが、たいへんになってきました。
見つからないとくやしいんだよね(笑)。

それで、昔、『神理用語の基礎知識』という本がありましたが、
ああいうのをインターネットの検索システムでできれば最高だなあ、
と思うんです。
「だったら自分でやればいいじゃん」とかいわれそうなんだけど、
残念ながら、私にはそれをやるだけの技術力がないんですよ。
ですから、会員のなかで、リナックスを作ったリーナスさんみたいな人がいたら、
立ち上げて欲しいんです。
著作権の問題等もありますから、できれば、総合本部に顔がきく人なら最高。
そして、世界中の会員に手伝ってもらって、
どんどんシステムを充実させていくんだ。

これはねえ、実現したら21世紀の「仏典結集」となるよ。

会員のなかには、頭いい人たくさんいるから、できると思うんだけど。
これを ゥてる会員さんで、身体にビビビっと電気が走った人、
きっと、あなたにその使命があるんですよ(笑)。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


5433件目   「夢を抱け」・・・なんちって   投稿者:TAO_0316   2001年7月28日 午前 8時57分

そりゃあ、いろいろ問題があるのはわかっているヨ。
でもね、できない条件を数え上げるのは簡単なんですよ。
それよりも、できる方法を、いろいろ考えていきたいなあ。

だいたい、今のインターネットにしろ携帯電話の普及率にしろ、
20〜30年前には、おとぎ話かSFの世界のできごとだった。
『運命の開拓』ではないですが、
「およそ、人間が想像できるもので、実現できないものはない」
というのは、なるほど真理だと思います。

>あの2000年近く経っている「聖書」でさえ
>著作権や版権の問題があって、インターネット上には掲載出来ないのです。

ああ、そうなんですか。
いろいろな出版社から聖書は出ていますが、
どこがどうなっているんでしょうか?
それに、部分引用だったら、かまわないんでしょう?

よく、シンクタンクの会社とかが、有料でデータベースを提供していますが、
彼らは、それぞれの資料を引用するのに、いちいち使用許可を求めたり、
著作権料を払っているのですか?
もう、法律に関しては、ど素人なものですから、
ほんとに、よくわからないんです。

でも、結局、大川総裁の著作に関しては、総裁がOKと言えば、
ほとんどの問題は、解決すると思います。
「まだ、ダメ」って言われるかもしれんが(笑)。

なんだか、最近の会員の発言を聞いていると、
なにか言われる前から、
「あれをやっちゃいけないんではないか。これをやっちゃいけないんではないか」
と、ビクビクしているように感じますが、
仏教精神は、基本的に「随犯随制」。
なにか、問題が起きたら、ルールを定めましょう、という精神です。
自己限定して、弱々しき善人にならなくてもいいんではないか。

『奇跡の法』にも書いてありました、
「幸福の科学は、政治的には、民主主義と自由主義を肯定しています」
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5432に対する返信です)


5436件目   あなたは誰?   投稿者:TAO_0316   2001年7月28日 午前11時01分

あなたは、haibokusya4444と同じ人なの?
彼は、「手を引きます」と言っていたので、
単に、おちょくりで同じようなことを書き込んでいる別の人ではないかい。

「汝の正体、見破れり」(≧▽≦)ぶわっはっは

なんちって。同じ人だったりしてΣ( ̄ロ ̄lll) !!
(これは haibokusya4 さんのメッセージ5431に対する返信です)


5444件目   Re:悪法も法である   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午前12時02分

いやー、勉強になるなあ。
いろいろ教えていただきありがとうございます。

まあ、大筋においては、太陽の法さんの言うとおりだと思いますが、
詳細において私と見解の違うところもあります(^^;

>「世間解」に長けている総裁先生が、世の中の慣例・通例に対して、
>極端に外れる様なこと ヘされないと思います。

これは、言ってることがよくわかりません。
要するに著作権侵害というものは、
著作権者が、使ってはならないと言う場合において適用されるものなのでは?
それで、現在、インターネットを取り巻く環境というのは、
フリーソフトウェア、シェアソフトウェアという考え方がかなり浸透しています。
非常に進んだ考え方がすでに普及しているのです。
リナックスなども、GNUというプロジェクトのもと、
ソフトウェアのソースコードを公開し、
多くの人が、より高度なプログラムを開発して協力できるようになっています。
画像なども、フリー素材として、多くのサイトが提供していますし、
みんなの役に立つんであれば、
無料もしくは低コストで提供しようという考え方の人が
多く出てきています。
ですから、著作権者である大川隆法総裁が、使っていいよと言えば、
著作権フリーという概念が出来つつある今、
世の中の慣例・通例には外れないのではないか。

ちなみに著作権自体が、悪法であるとは、私は思っていません。
自分の著作を悪用されたり金儲けに使われたりするのを防ぐために ヘ
必要だと思います。
どこかで正心法語を内容を掲載したサイトがありましたが、
あれは、悪質だと思います。
こういうことを防ぐためには、大川総裁の著作を使用する際には、
許可を申請するようなかたちにすればよいでしょう。
個人で幸福の科学関連のホームページを作っているところでは、
実際に、幸福の科学出版などに、画像の使用許可をもらっているところが
あるようです。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5437に対する返信です)


5445件目   Re:悪法も法である2   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午前12時05分

>それは、僧団にルールがなかった頃の話で、
>しかも僧団は、その当時の世間ルールよりも厳しいルールを定めたのでは?
>世間ルールよりも厳しいルールの中で活動していたからこそ、
>僧団に尊敬と信頼が寄せられたのでは?

この辺は、半分当たっていて半分はずれているというところか。
私がいうところのルールとは罰則規定、つまり戒律の律の部分です。
仏陀サンガが M頼されていたのは、律がたくさんあったからというより、
そういう罰則規定がなくても則を越えない人たちが多かったからでしょう。
そして、現在の幸福の科学では、戒にあたる部分は、
正しき心の探求をはじめとして、いくつか見出せますが、
律の部分はほとんど明記されていません。
職員等は、細かい職務規定があり、それが律にあたるのかもしれませんが、
在家の会員に対しては、釈迦の時代もそうでしたが、
律はほとんど課せられていないはずです。
詳しくは『沈黙の仏陀』等を参考にしてください。

話は変わりますが、以前、パンティー強盗事件の犯人を、
幸福の科学としては“元”職員として扱っていましたが、
あれは、弱力捨戒ということで、その人に対する慈悲でもあったのでは。
職員だとしてしまえば、当然、波羅夷法が適用され教団から永久追放という
処置を取らざるを得ない。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5444に対する返信です)


5448件目   Re:夢を抱きましょう2   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午前10 ・8分

>タイプしてたんじゃとんだ暇つぶしになるだろうな・・・考えただけでもおぞましい
>うーん、スキャナーで読みとってそれを認識ソフトで解析するのはどうかな、
>ちょっと精度の問題があるかもしれないがやってみないとわかんないや。
>どっちにしろ大変な作業ですな。
>と言うわけで用意するもので一番大事なものが「根気」と「希望」っていうわけ(笑)。

ですから、私がイメージしているのは、
Googleなどの検索システムの幸福の科学限定版なんです(笑)。
それぞれのデータは日本各地、世界各地のサーバーに置いておく。
そして、検索システムの巡回ロボットが、そのデータを収集していく
という形にするんです。
いわゆる分散処理型です。
もともと、インターネットはペンタゴンあたりが、
軍事用のコンピューターを一箇所に集中しておいておくと、
そこを破壊された時に、非常に不利になるということで、
分散型のネットワークを構築できないかという発想で、
立ち上がったと聞きます。

幸福の科学データベースも同様にいくつかの場所に分散するんです。
セキュリティの面から 燉L効だと思います。
そして、データ入力ぐらいであれば、
多くの人ができるので、日本中いや世界中の会員に、
ばんばんデータを打ち込んでもらう。
そのデータには、もちろん間違いも多く含まれているでしょう。
それは、まず、ベータ版を作って、
使用した人にプログラムのバグや、データの入力ミスを指摘してもらう。
それで、あるていどバグ取りができたものを、
完成版としてネット上で使ってもらう。
大川総裁は新しい法話をどんどん話されるので、
ベータ版、完成版ともにどんどんバージョンアップしていくのです。
最終的には、各支部の情報等もある程度わかるようになればいい。

まさに、仏典結集でしょう(笑)。
(これは MercyComBoy さんのメッセージ5442に対する返信です)


5449件目   ネット公開の是非1   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午後12時13分

まずはじめに言っておきたいのは、
ネット上に書籍の文章をホームページにたくさん載せて、
パソコンで自由に見られるようになっても、
書籍の売上は減るものではないのです。
逆に売上が増す場合が多いようです。
というのは、パソコンのモニター画面で文書を読むのは、
本を読むより、難儀であるからです。
だいたい、原稿用紙にして、4,5枚程度ぐらい読むと、
目が疲れてくる。
ですから、いいこと書いてあるなと思って、
本格的に読みたいなと思うと、書籍を買って読むことになるのです。

ですから、本をまるごと1冊分ホームページに載せたり、
ファイルとして提供するというのは、
実は、私は、あまり意味のないことだと思っています。
もし、プリンタ等で、紙に印刷してから読むとしても、
印刷代がすごくかかる。
今、個人で使用しているプリンタは、インクジェット型が多いと思いますが、
一冊分印刷すると、カートリッジはすぐ空になってしまうでしょう。
コスト的には、書籍を買ったほうが得になるのです。
たとえ、安価に印刷できたとしても、パラパラの紙ですので扱いにくい。
自分できれいに製本しようとすると、これもまた、コストと手間がかかる。

私が、イメージしているデータベースは、
自分が知りたい項目やキーワードに関する、書籍の情報や、
そこの部分の引用文が示されるというもので、
本がまるごと1冊分読めるというようなものではないです。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5447に対する返信です)


5450件目   ネット公開の是非2   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午後12時15分

>悪用する人が全くいなければ良いのですけどね。
>世の中、そんなに甘くはないでしょうね。

>また、当会を誹謗中傷する目的で、わざと法の誤用・曲解を掲載している例もありますね。
>法のデーターベース構築は、会員・誹謗中傷者双方にメリットが生じるのです。
>法のデーターベースが公になるならば、論戦を激化することになると思います。

この考え方もわからない。
私達がやろうとしていることは、
まずは、仏法真理をできるだけ多くの人に知ってもらうことでしょう。
そのために、布教紙をポスティングしたり、献本しているのでしょう。
ノック伝道やポスティングで、
月刊誌や本を、たくさんの人に見てもらおうとするこ ニは、よくて、
インターネット上で月刊誌や本の情報を見てもらうことはいけない、
というのは、なぜか?

前に、私は、幸福の科学のインターネット使用の是非について
2ちゃんねるに書き込んだことがあるますが、
修行論の観点からは、インターネット伝道のような形は、
あまり薦められないということは言いましたし、
今でもそういう安易な方向に流れるのはよくないと思っています。

しかし、あなたの言い方だと、批判者が増えるから情報公開はすべきでない、
という論調です。
書店で情報公開すると、誹謗中傷は起きにくくて、
インターネットで情報公開すると、誹謗中傷が起きやすくなるの?

こういう掲示板で、法の誤用・曲解がおきるのは、正しい情報を提示しないからです。
会員の投稿をみても、大川総裁の教えを示し、それに基づいて発言しないで、
単なる、あげ足とりのディベートを延々とくりかえしている例が見られます。
あなたも行なっているように、ちゃんと大川総裁の発言を正確に引用して、
これは、こういう意味なんですよ、としたほうが、
これまでうろ憶えの知識で
大川総裁や幸福の科 wに反対していた人の誤解を解くのにも、
役に立つのです。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5449に対する返信です)


5452件目   信仰と情熱   投稿者:TAO_0316   2001年7月29日 午後 5時46分

うーむ、個々の発言に対して、詳しく言うこともできるのですが、
ここは、ワンクッションおいて、『信仰と情熱』の一節を掲示しましょう。
-------------------------------------------------------------------
一年中、神理のことから心離れることなく、神理の書籍を読み、
各種行事に出、また自らも講師になり、さまざまな指導者なりになろうとして
努力している人であって、
その心奢らず平静であって、
そして常に神仏の心を己の心として生きているときに、
その体からは必ずや淡い光が出ているのです。
そうした状態にならねばならないわけです。

そうした人の特徴は、会った瞬間に、
柔らかい温かい感じがするのです。
己れ自身の自覚のもとに厳しい修行を為していることとは別に、
他の人に対しては、柔らかい優しい光が出ていることが特徴です。

これに対して、厳しい修行に打ち込むことによって、
外に出る波動もまた厳しく、
他の人びとを拒絶し、他の人びとを裁き、あるいは非難するような、
そういう波動が出ている修行者たちもいます。
彼らはまちがった信仰に生き、まちがった修行に打ち込んでいる人たちです。
その厳しさを、自らを飾るための厳しさとして使っている人たちであるわけです。

普通の人びとができないような修行に打ち込むことによって、
己れを飾り、衒おうとする心、そうした心がありますと、
他の人に対して厳しい、冷たい氷のような雰囲気で接するようになってきます。
そうであっては、私たちの修行の目的は達せられていないと言わざるを得ません。
私たちは己れに厳しく生きていかねばなりませんが、
同時に、他の人びとに対しては、
温かい、愛の光で接するという気持ちが大事であるわけです。

またこの修行の途次において、常づね言われることに、
増上慢からの転落を防ぎなさいということがありますが、
この増上慢の特徴の一つとして出てくるものは、
他の人から愛を奪いたいという気持ちでありますから、
正直言って、その人と接していて心が安らぐということがありません。
増上慢の方と話したり、近くにいては、
心が安らぎ、温かくなるということはありません。
それはちょうど、その人の側にくるとエネルギーを
抜いていかれるようなものであり、
蚊や蛭のように自然界に一部、
他のものの血液を吸い取って自分の生命の力にかえていくものがいますが、
そのような存在になっていると言ってよいでしょう。

したがって、接する人びとに愛の波動を与える、
柔らかい光でもってくるむということを、
どうか常に肝に銘じておいてほしいのです。
この点を注意しておきますと、自分が間違った方向にいった場合に、
よくよくわかるわけです。
(『信仰と情熱』第3章「サンガーの精神」より)
-------------------------------------------------------------------
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5451に対する返信です)


5459件目   Re:会員の質   投稿者:TAO_0316   2001年7月30日 午前 9時14分

レス、どうもありがとうございます。

会員の質が低下しているのかどうかは、よくわかりませんが、
教学面に関しては、与えられる情報が少なくなったので、
ちょっと低下してるかな、ということは、前に書いたとおりです。

やはり、土屋書店刊の本が出回らなくなったことや、
SPM活動が鈍り、書籍やテープの揃えが悪くなり、
幸福の科学の本を置いてある書店の数が減ってきたことが、
原因のひとつだと考えています。

ならば、いっそ、インターネットを使っていこうじゃねーか、
という話なんです(笑)。

かつてはねえ、ファクシミリをすごく使っていました。
講談社がFAX攻撃だなんだと、ぬかしているが、
リーダー会員は、毎日、FAX攻撃されていたようなもんだ。
私は、当時職員だったので、その被害は受けなかった――というより、
攻撃していたほうだったからいいのですが(笑)、
集いとかで、会員さん宅を訪問すると、
ファクシミリにたくさんの紙がたまっているのです。
だいたい個人が使用するFAXはロール感熱紙なので、
ごわごわするし、まるまっちゃうし、使いにくいんです。

で、それをまた他の会員さんに送ったりするので、
印刷がどんどん汚くなって読めなくなる。
電話代もかかるし、あのころは、みんなよくやってくれたよなあ。

なんでも、総裁先生が「FAXは高速伝道マシンです。みなさん買ってください」
みたいなことを、言ったとか言わないとかいううわさもありました。

そうであるならは、インターネットは「超高速伝道マシン」
ということになるでしょう。
FAXはよくて、インターネットはいけないのか?
Webでのデータベース化はさておいて、
メール機能に関しては、もっと積極的に支部等で使っていくべきです。
総合本部からもメールマガジンを発行したらいいと思います。
支部からのお知らせも、メールでどんどん送れば、
FAXよりも電話代がかからないし、
もらった会員も感熱紙だらけにならずに、多くの情報を受け取れる。
今、パソコンは5万円ぐらいで買えるものが、いくつか出ています。
1990年当時のFAXより安いぐらいです。
もし、パソコンを持っていない人がいるなら、
支部なりリーダー会員なりがFAX用データに変換して送ってあげればいい。

支部長なんかは、週に一回ぐらい、自分が今、感じていることなどを書いて、
メールで送ればいいのに。
そうすれば支部長のひととなりもわかって、会員との親密度も増す。

あとさあ、地方の支部なんかは、ネットミーティングとか使えばいいんだ。
もう、やっているところもあるかもしれんが、
地方の場合、支部に行くにしても、
片道3時間4時間とかかかってしまう人がいる。
ネットミーティングを使えば、支部に行かなくても、
あるていど、会議に参加できるよ。
使えるものは、どんどん使っていこう!

うーん、話がどんどん、ずれてしまった(笑)
(これは akireteimasu さんのメッセージ5453に対する返信です)


5474件目   >akireteimasuさん   投稿者:TAO_0316   2001年7月31日 午後 1時10分

いやいや、否定や反論は逆に期待していたぐらいで、なきゃ困る(笑)。
それで、いろいろな考え方が提示されるなかで、
方向性が煮詰まっていくというものでしょう。

そういう議論を、他の会員さんたちが見て、
また、新しいアイデアを思いついたり、
実現の第一歩を踏み出せれば、素晴らしいことだなと思います。

ただ、生産性のない議論に流れていってもしようがないので、
そういうものには、私はつきあいたくない。
(これは akireteimasu さんのメッセージ5464に対する返信です)


5475件目   >BUTSUDESHIさん   投稿者:TAO_0316   2001年7月31日 午後 2時01分

>早速、支部の皆さんに相談してみます。

イヤミを言う人もいるかもしれませんが、がむばって。
礼儀正しく、しかして押し強く、の精神です(笑)。

前にテレビを見てたら、石原慎太郎さんが出ていて、
彼は、税務関係の都の職員に、
「前に進もうと思うな。横に飛べ」
と、言ったそうな。
『現代成功哲学』(これも土屋書店かいな)でも
垂直思考に対する水平思考という考え方が出ています。

あとインターネット関連では、
インパクを企画した堺屋太一さんが、
バーチャルな世界と現実の世界がうまくリンクするようにしたい
というようなことを言ってました。
現実の生活から遊離しないようにするための
大切な考え方だと思います。
(これは BUTSUDESHI さんのメッセージ5466に対する返信です)


5476件目   >Redwood_Tree_Mさん   投稿者:TAO_0316   2001年7月31日 午後 2時42分

>たしかに、新しく入った会員さんのなかには、
>昔の書籍をすべて読んでいないということはあるかと思います。

大川隆法総裁は、生涯において千冊の本を出すことを目標に掲げていましたが、
(これどこで言われていたか忘れちった)
いまのペースだと、楽に越えそう(笑)。
それで、大川総裁晩年に会員になった人は、大変だ。
幸いなことに、我々は、霊言集から初めて、、
法体系が少しずつ構築されていったのを、
リアルタイムで体験できたから、学びやすかったところもある。

しかし、千冊もある本をいきなり提示されたら、クラクラしてしまう。
そういう、学びの手引きにも、データベース化は必要で、
いつかは、やらねばならぬことでしょう。

>そういう支部は、あるようですよ。

そうですか。どれぐらい効果あるのかな?

話は変わるんですが、各支部が総合本部に直結する形になって、
出てきた弊害として、
他支部の動向についての情報があまり入らなくなったことがあります。
昔の地方本部が中間に入る方式のほうが、
その点に関しては、都合がよかった。
精舎での研修や、もしくは近くの支部同士が集まって
合同の会議をやったりすることで、わかることもあるのですが、
それだけでは、情報量が少なすぎる。

メーリングリストなどを使った支部間の情報交換なども
積極的にやってもらいたい。

私のアイデアの基本は、
インターネットを使った、「四方サンガ」の形成です。

普通の支部を通した活動は、「現前サンガ」と呼べるべきものでしょう。
しかし、インターネットを通じた会員同士のつながりは、
四方サンガというべきものになるのではないか。
そして、その四方サンガの「あるべき姿」とは何かを、
みなさんと考えていきたい。

カッコつけすぎやね。
ほかの意見にも答えようと思ったんだけど、
長くなるのでこのへんで失礼します。
(これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ5467に対する返信です)


5477件目   >WW_R2さん   投稿者:TAO_0316   2001年7月31日 午後 3時04分

こんにちは。そして、レスありがとう。

本格的なレスは、もうちょっとまってね。
私はもう寝ます。
スンマソン。
(これは WW_R2 さんのメッセージ5472に対する返信です)


5484件目   >WW_R2さん PART2   投稿者:TAO_0316   2001年8月01日 午前11時15分

>根絶されそうになっている WW です(苦笑)

弱気になっちゃダメダメ。
伏流水のごとく湧きいでるのじゃ(笑)。

“namazu”ちゅうのは、Rinuxとかについてくる、
検索ツールのことかいな?
いちおうね、私のパソコンにも、
ちっちゃいハードディスクを無理やりパーティションして、
Vine Linuxぶちこんだんですが、あんまり使ってない┐('〜`;)┌
Windowsとは使い勝手が違いすぎる。

ああ、わたしは所詮、MS-DOSの人。
合言葉は、「INT 21H ファンクションコール!」
ビル・ゲイツ様に帰依したてまつる・・・なんて冗談のひとつもいいたくなる。
Windows用namazuもあるんかいな。よく知らないんです。

それで、話はそれるんだけど、
前に、WW_R2さんが無我について議論していたじゃないですか。
これに関して言おうか言うまいか迷っていたんだけど、
知ってていわないのも心苦しいので、一言いわせていただきます。

無我にたいして、正しい捉え方をするためのキーワードは、
「中道」だと思います。
特に、唯物論や梵我一如説との違いを説明するためには、
「断常の中道」「不常不断」という考え方を理解する必要があります。

唯物論に堕した無我の思想は、「断見」であり、
バラモン教の梵我一如説は、悉皆成仏論的な「常見」であるのです。
釈尊は、そのどちらの考えも否定し、
転生輪廻の核となる魂や霊はあるが、
それは、不変のものではなく変化していくものでもあるのだ、
という考え方をしたのです。

そして、無我には、機能論としての無我と、
存在論もしくは物理的実体論としての無我に分け 轤黷驍档bですが、
釈尊の説いた無我は、主として「機能論としての無我」です。

「常日頃あなたがたが、我だと思っているものは我でないのです。
そういう我ならざるものから厭い離れることにより、
あなたは心の曇りを取り去り、真我なる自己を発見できるのです。」

ということを言っていたのです。

また「存在論としての無我」ということでいえば、
それは、「無」の問題に帰着するでしょう。
つまり、すべての存在は、仏神の光の投影にすぎないという
観点から見れば、存在すべては無我であるという言い方もできる。
しかしながら、そのようなことを言ったところで、
個々人の「救済」や「修行」にはならないわけです。
ですから、一般的には、無我というのは、
ニセモノの自分を捨てなさい、ということでいいわけです。

参考『悟りの挑戦上・下』『心の挑戦』『釈迦の本心』
『信仰告白の時代』第5章「空と阿羅漢」
(これは WW_R2 さんのメッセージ5472に対する返信です)


5489件目   >The Laws Of the Sunさん   投稿者:TAO_0316   2001年8月01日 午後11時42分

>私の所属支部の支部長に、データーベース化により懸念されることをお伺いしてみました。

よいですねえ。
そういうことは、どんどんやってチョ。
とにかく、いろんな人が、データベース構想とか、
インターネットの活用とかを考えてくれることが第一歩です。

>たとえば、版権を持つ「幸福の科学出版」が、そのデータベースを持つならば、
>何ら問題はないと思います。
>その場合、利用は原則的に「幸福の科学出版及び営業所」になるのではないかと思います。

まあ、最初はこれでも私は別にかまわないんです。
でもね、多くの会員のニーズというか、プロジェクトの魅力という点で、
つまらないものになってしまう。
「幸福の科学出版及び営業所」に限定した利用で、
多くの会員がボランティアで作業を手伝ってくれるだろうか。
それとも、幸福の科学出版が専門の業者に委託して作らせるの?
幸福の科学の職員には、それを作るだけの時間的余裕はないと思われる。

ですから、私の理想は、在家の代表がプロデュースして、
幸福の ネ学や幸福の科学出版、そして大川総裁に認可をもらい、
インターネットを利用してデータベースを構築していくというものです。

最終的な利用形態は、細かく見れば、いろいろな形が考えられるでしょう。
・まったく、だれでも自由に無料に利用できる。
・三帰会員限定
・会員、非会員は問わないが、登録が必要。
・年会費としていくらか払う。または、1回の使用に課金される。
とか、ちょっと考えただけでも、いくつか出てくる。

そういうことは、充分に議論を重ねていくなかで、
現実的な線が、決められていくでしょう。
また、未来において変更されていくかもしれないし。

私は、形にこだわっていません。
要は、多くの人が楽しんで参加でき、
また、利用する立場からも便利なものができたらすばらしいなと思っています。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5478に対する返信です)


5491件目   Re:1996年の意味   投稿者:TAO_0316   2001年8月02日 午前 1時06分

だれも答えないようなので、
私が 、ろおぼえの記憶をたよりに、説明しましょう。
ただし、できごとの日時、順序等は相前後してるかもしれません。
間違いに気付いたら人は、指摘してちょ。

1996年ぐらいから、御聖誕祭、聖夜祭は、支部主催となりました。
よって、ドームでの講演はなくなりました。
そのかわり、会員は支部にてビデオでご法話を拝聴する形になりました。
これは、幸福の科学が支部主体の活動というものを強調したことによります。

いつだったか正確には憶えてないのですが、
このころに大川隆法総裁がリバティの買取などのノルマを
在家会員に押し付けていたのを激怒し、
「会員を苦しめるために幸福の科学を作ったのではない」と言って、
地方本部撤廃などの、組織のフラット化、
在家会員へのノルマの廃止などを打ち出しました。
そして、『リバティ』誌は、定価を引き下げ、
月刊誌はポスティングしやすいように、小さなサイズになり、
『ザ・伝道』『ヘルメス・エンゼルス』などの姉妹誌もできました。

それと同時ぐらいに、正心館などの精舎建立の企画が出てきました。
これに関しては、現在は『仏陀の証明』に収められ トいる、
当時の月刊誌の総裁の論考のなかで、
「正しい信仰と教義の確立と同時に、
最後はサンガとしての道場設備を充実させていかなければ、
実は八正道そのものを実践することはなかなか難しい」
という言葉がとっかかりであると思います。

そうして、現在、幸福の科学の活動は、まず支部ありきで、
そして精舎の研修があり、
御生誕祭、聖夜祭は、支部と精舎で祝うという形になっています。
(これは by2037march さんのメッセージ5481に対する返信です)


5503件目   礼節とは何か・・・なんちゃって   投稿者:TAO_0316   2001年8月03日 午後 2時05分

akireteimasuさんのこれまで言ってきたことは、
それほど非難すべきことではないと、私自身は思っています。

ベストセラー対策で、支部や会員がまとめ買いしていることは事実ですし、
それを、あまり書店に行けない会員が自分用に買ったり、
献本活動に使ったりしているのですから、
変に隠す必要はないと思います。

幸福の科学の本が、特定の書店でしか売られないのは、
宗教書に対する、書籍の取次ぎ店(日販とか東販とかいうやつです)の評価が
他の一般の書籍よりも低いことがあると思います。
そのような状況を補完するためにも必要なことであるのです。

また、「便所の落書きには便所の落書きで応酬する」という考え方は
私としては反対です。
相手が礼節を伴っていないからと言って、
自分も同じように、低レベルの反応を示すというのは、
まさに、「ミイラ取りがミイラ」になっている状態だとおもいます。
そういうやりとりを、第三者が見て、
幸福の科学は、品位を持ったひとたちが集まった団体であると、
評価してくれるでしょうか。

批判者に対して、論理的に切り返すことは、
ときには必要なことであると思います。
しかし、言葉尻をとらえて、あげ足とりの応酬になるのは、
礼節からはずれた行為であると思っています。
(これは akireteimasu さんのメッセージ5496に対する返信です)


5510件目   祝・三帰   投稿者:TAO_0316   2001年8月04日 午前 8時35分

天使のモーニングコール!
めずらしく、朝早く起きてしまいました。

娘さんが三帰されたそうで、おめでとうございます。
『愛、無限』の講演会は1993年だったので、
上の娘さんは、小学校2年生ぐらいでしょうか。
「愛、無限」――いいじゃねえか。
彼女たちを「モーニング娘。」に対抗して、
「愛、無限娘。」と勝手に命名してしまおう。
ただし、最後にちゃんと「。」をつけるのを忘れないように( ̄ー ̄)ニヤリッ。

>「愛、無限」とは、
>信ずる力によって、
>無限の愛が、あなたがたに臨むということだ、
>信仰を通して、無限の愛が臨むとき、
>不可能なことは何ひとつない。

こんなお話を、母子室かなんかで、聞いていたんだ。
ええなあ。

あー、あとねー、インターネット関連の話はやめたわけではないんだけど、
もともとピーマン頭をフルに使ったので、ちょっと疲れちまった。
とりあえず、中間のまとめみたいなの、
いいだしっぺとしてカキコしなきゃいけませんね。

それともうひとつ、
『天使のモーニングコール』は、
幸福の科学出版のホームページで聴けるようにしたらいいと思うんだけど、
ラジオで朝早い時間にしか聴けないというのは、まことにもったいないです。
Media PlayerかReal Playerで聴けるようにすればよい。
ラジオで放送するのに比べたら、経費は限りなくゼロに近いだろうし。
これを、総合本部や出版の人が見てたら、是非、お願いしますよ。
(これは BUTSUDESHI さんのメッセージ5494に対する返信です)


5522件目   ネット関連・・・中間のまとめ   投稿者:TAO_0316   2001年8月06日 午前12時15分

こんにちはー。元職員で現在休眠会員のTAO_0316“坊ちゃん”でーす。
でも、リストラされたわけではないよ(笑)。
ま、続けていたら、リストラされていたかもしれんが。

データベースに関しては、
だいたい予想していた問題点の指摘が出たと思いますので、
それらをふまえつつ、専門知識のある人が、
実現の可能性を考えていただければと思います。
なにも、きょうあしたにでも始めよ、という話ではないです。

そのほかのメールやWebの利用に関しては、
時代の流れからして、もう止めることはできないんではないかと思っています。
これまでは、支部を通した活動を充実させてきて、
ある程度の成果を収めたと思われるので、
その支部活動をより強化する形で、
ITを有効活用していくことが望ましいんではないか。
仏光物理学的に見ても、会員、信者が霊的磁場の良い所に集まって、
光を増幅させることは非常に有効で、
そういう意味でも支部や精舎での活動は
この先も中心的な役割を果たしていくのだと思います。

四方サンガの形成について、ちょっと話をしましたが、
みなさんに認識して欲しいのは、
このような掲示板でのコミュニケーションは、
すでに四方サンガを形成していることになるのだと思います。
よって、こころある会員であるならば、
どのような発言がサンガの一員としてふさわしいかということを
常に考えるべきだと思います。
自分の良心に照らして恥ずかしくない投稿をすべきです。

いずれにせよ、インターネットはこの日本においても
かなり普及してしまいました。
“「幸福の科学」Q&A”というアンチ幸福の科学のサイトがありますが、
そこは、ある種データベース化しています。
ネット検索をして、そのような幸福の科学に否定的な意見のサイトばかりが
ヒットしてしまうのは、伝道活動にも支障をきたすことになります。
幸福の科学総合本部や出版の職員がこの投稿を見ているとするならば、
インターネット活用に関しての
幸福の科学の見解、ガイドラインというものを出して欲しいと思います。
そして、一般の会員が安心して
幸福の科学に関するホームページを作ったり、メールで意見交換できるように
していただきたいです。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


5524件目   TAOはTAOです   投稿者:TAO_0316   2001年8月06日 午前12時57分

もしかしたら、私がいろいろなハンドルネームを使って
多くの人の支持を集めているように見せかけていると
想像しているの?

もし、そうだとしたら、それは違いますと言うしかないです。

だいたい、私は2ちゃんねるの“坊ちゃん”であることを
明かしているぐらいですから、
そーんな姑息な手段は使いません。
だって、ばかばかしいじゃん(笑)。

私個人に対して意見があるのならば、
2ちゃんねるでメールアドレスを公開していますので、
どうぞ、メールでお問い合わせください。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ5521に対する返信です)


5526件目   知ってる人は教えてください   投稿者:TAO_0316   2001年8月06日 午前 1時30分

>支部や精舎研修等の話題が少なすぎる様です、
>行ってないから分からないのかな?

そうです。行ってないからわかりません(笑)。
支部に行くのは、月に1回ぐらいです。
もし、役に立つ情報があれば教えてください。

あえて、いいわけがましいことを言わせてもらえば、
こうゆう掲示板というのは、文字情報でありますから、
瞑想や公案等の体験を表現するのは、あまり適しないと思います。
それは、そこで、各自が体験すればよろしいのではないでしょうか。

それで、掲示板などでは、教学や世間解的知識について、
意見交換していく ニいうことで、構わないのでは。
もちろん、「研修でこんな体験をしました」というような話は
どんどんしてほしいし、私も聞きたいです。
(これは BUTSUDESHI さんのメッセージ5518に対する返信です)


5534件目   gamandesuneさんへ   投稿者:TAO_0316   2001年8月06日 午後12時29分

>貴方が言われるガイドラインはすでに幸福の科学では示されていることです。

そうなんですか。
できれば、あなたが聞いた範囲で、
どのようなことを言っているのか教えていただければと思います。
支部や広報局に問い合わせたら?ということですが、
それは、ちょっと考えました。
でも、一番よいのは、月刊誌かリバティ誌の1ページぐらい使って、
インターネット活用の手引きのようなものを載せてくれれば、
多くの会員のためにもなると思います。
Redwoodさんが『リバティ』10月号にて、
IT関連の記事が載るということをおっしゃっていましたので、
もしかしたら、そこで、すこし触れられるかもと期待しています。

その他、 ъツ人の履歴や現在の状況についての疑い・批判があるのであれば、
他の方にも言いましたが、
メールでお問い合わせください。
(これは gamandesune さんのメッセージ5531に対する返信です)


5669件目   『ノストラダムス戦慄の啓示』   投稿者:TAO_0316   2001年8月21日 午前 1時54分

最近、オイラのうわさをしているようだな。
おっと、あぶねえ、また、顔文字を使いそうになっちまったい。

ここ最近での大川総裁というか景山民夫さんの爆弾発言は、
「意外とたいしたことないんですね」
です。
ご法話を聴いた人ならば、何を言っているかは、おわかりであろう(笑)。
まあ、一般の人も観れる、御聖誕祭の法話での発言ですから、
大川総裁としては、「これぐらいのことはシャレとして認めるよ」、
ということなんだと思います。
・・・ということで、自己弁護してみました。

それでですね、よく、『ノストラダムス戦慄の啓示』は、差別発言ではないか、
という批判を聞きますし、実際、裁判にもなったりしたみたいですが、
最近、入った会員で、この本のことをよく知らない人もいるとおもいますので、
ちょっと、解説してみたいと思います。

『ノストラダムス戦慄の啓示』という本のテーマを、わたくしなりに表現すると、
「国家間におけるカルマや縁起の理法」について述べたものだと思います。
つまり、それぞれの国がどのようなカルマ(業)を形成してきたか、
そして、そのカルマによってどのような運命が待ちうけているか、
どのような国際関係になってゆく可能性があるか、ということを説明しているのです。

この本では、すべての国に対して、批判的です。
そういう意味で、ネクラといえばネクラです。
日本を「リヴァイアサン」という怪獣にたとえ、
その怪獣が韓国という淑女を犯すという表現で、日本という国を批判しているのです。
ノストラダムスは、ヨーロッパの人ですから、
基本的に日本に対して好意を持っていません。
次の記述からもわかります。

>ああ、しかし、日本人の愚かなることよ。
>私はいまだかつて、かほどに愚かな国民をしらない。
>自分たちが今、置かれている立場を
>これほどまでに知らぬ人たちを見るのは久しぶりである。

>その心境は、かつてバビロン捕囚として連れていかれた
>奴隷民たちの心そっくりである。
>そしてまた、奴隷の心を持ちながら、
>衣装だけは艶やかな貴族の衣装に身をくるんでいる。
>この矛盾が、世界は許せないのだ。
>(p.153)

ですから、ノストラダムスとしては、
「日本人よ、そのようなことではダメだ。
もっと、世界をリードするに足る精神性を持ちなさい」
と訴えているわけで、韓国を蹂躙するような日本を肯定してるわけではありません。
(これは MercyComBoy さんのメッセージ5664に対する返信です)


5738件目   BUTSUDESHIさんへ   投稿者:TAO_0316   2001年8月24日 午前 9時03分

いえいえ、どういたしまして。

私は、「言うだけ番長」なので、私の投稿がヒントになり、
日々の活動の役に立つのならば、こんなうれしいことはありません。

ただ、煽っておいて、こんなことを言うのは、なんなんですが、
Eメールの使い方には充分注意が必要です。
もう今は、Eメールでやりとりされた情報は、
外部に筒抜けになっているぐらいの認識でいたほうがよいと思われます。
通信傍受法が制定されて、警察は比較的容易にインターネットや電話の情報を
盗聴することが可能になりました。
うわさによると、某宗教団体の信者が、警察の幹部にたくさんいるということです。

ですから、もし、メールを使って、会員リストなどの大事な情報を送りたいのであれば、
暗号化サービスなどを使って、情報漏洩が起きないように気をつけたほうがいいでしょう。

また、メールによる文章表現は、直接会って話をするときよりも、
かえって、感情の起伏が激しくなることが、あるようです。
変な軋轢が起こらないよう、事前によく話し合っておいたほうがいいでしょう。

10年ぐらい前は、電話による伝道が、大きなウエイトを占めていたように思います。
しかし、携帯電話がこれだけ普及した現在の状況を考えると、
かえって、電話で仏法真理を伝えるというのは、
難しくなったのではないかと感じています。
駅のホームや繁華街を歩いている人に電話をかけて、
「今、仏陀が再誕されているんです!」とか言っても、
「なんのこっちゃ?」って感じで、とりあってくれないでしょう(笑)。
それゆえ、メール等の新たなツールの可能性を考える必要があると思います。
Eメールのいいところは、時間に制約されないにもかかわらず、
比較的早くレスポンスが得られるというところだと思います。

ますますのご発展をお祈りいたします。
(これは BUTSUDESHI さんのメッセージ5737に対する返信です)


5765件目   長続きの秘訣は幸福感   投稿者:TAO_0316   2001年9月02日 午後 7時18分

これについて、大川きょう子先生は、『運命を開く鍵』という本のなかで、
次のように述べています。
-------------------------------------------------------------------------
私は『愛を与えることの幸福』(海竜社刊)という本を出しています。
ひじょうに不思議なタイトルであろうかと思いますけれども、
みなさんに考えていただきたいのは、次のようなことなのです。

何かを義務感でやっているときというのは、やる気が出ません。
「これをすることがほんとうに楽しい。これこそ自分の幸福だ」
と実感できなければ、それは続きません。
いくらやっても続かないのです。

ですから、愛を与えることは、
「これは自分が将来よい人だと思われたいからやるのよ」
「これは将来、光の菩薩になろうと思ってやるのよ」などというのは、
確かにそれはそうなのですが、あまり長くは続きません。
「将来、光の菩薩になるためだけにやる」と思ってやっていたら、
途中で苦しいことが出てきたときに投げてしまうのです。

愛を与えるということを、ほんとうに一生実践できるためには、
「愛を与えるということが自分の幸福なのだ」と実感できるところまでいかないと、
続かないのです。
いくら人から言われようと、
「こういう義務ですから」「やらなければいけないことですから」と、
いくら自分を燃やそう燃やそうとしても、
エネルギーが燃えてこなくなるときがあるのです。

ところが、「これが楽しいからやる」というようになると、
外からプレッシャーをかける必要がまったくなく、自然にできるようになります。
そこま ナいかなければ長続きしないのです。(p.42〜44)
-----------------------------------------------------------------------------
・・・まあ、人がなにかを為そうとするときには、苦難や困難はつきものですが、
そういう苦しみの中にも、心地よさというか、自分の能力を発揮している快感がないと、
しんどくなってしまうということです。
(これは dradra21jp さんのメッセージ5763に対する返信です)


5885件目   神と善悪1   投稿者:TAO_0316   2001年9月11日 午後12時09分

こんちは。別名“坊ちゃん”で〜す。横レスで〜す。

>本当の神なら無理矢理守らせなくとも自然と守るでしょう。 
>だって神様が人間を作ったんでしょう?別に洗脳する必要はないですよね。
>信じる様に人間を作り替えれば済む事です。
>そう言う事をしないで人間同士を宗教の名において殺し合いをさせましたよね。
>無理矢理でも良いから守らせれおけばよかったと考えております。
>歴史上、どれだけの宗教戦争があったと思います?

このへんの善悪の問題に神がどう関わっているのか、というのは、
非常に難しいと思います。
これを、真の意味で理解し、自分の言葉で説明することができる人は、
かなり、悟りの高い人と言えるんではないか。
私は、正直言って、まだ、充分わかっていません。
会員さんのほとんどの人も、よくわかんないんではないかと思います。

そこで、得意の書籍の引用で、お茶を濁します(笑)。
2ちゃんねるのほうで、『限りなく優しくあれ』の話題が出てて、
読んでたらちょうどいい文章がありました。
この本持ってない会員さんの参考にもなると思うので、引用します。
----------------------------------------------------------------
 この善と悪の考えについては、古来より、宗教家や哲学者がいろいろと議論をしてきたところです。
 神がもし、善一元の方であるならば、悪があるということはおかしいし、悪霊、悪魔の存在もおかしい。そういうものが存在するということは、神の属性のなかにそういうものがあるのだろうか。あるいは、神の属性のなかに、悪霊、悪魔というような、そういう性格がないとするならば、この宇宙は神がすべて支配しているとは言えない。神の支配のほかの世界があることになる。ほかなる存在があることになる。そうすると、神は唯一の絶対者ではなくなる。こういう矛盾したテーマがあって、古来からなかなか結論が出なかった部分が、この善悪にはあります。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ5869に対する返信です)


5886件目   神と善悪2   投稿者:TAO_0316   2001年9月11日 午後12時12分

 インドネシアに行きますと、バリ島というところでは、バロンダンスという民族的な演劇が行われております。ここでは、その民族神であるところの善神としてのバロンと、悪魔の化身としてのランダという悪神が出てきます。そして、善なる神、真なる神であるバロンの力と、悪なる神、すなわち悪魔のランダの力とは対等であって、決してどちらが勝という決着が出ない。永遠に善なる神と悪なる神が闘争をつづける、闘いつづけるという思想が描かれています。
 この考え方は、中東において遥かなる昔に説かれたゾロアスター教における善と悪との闘い、光の天使、指導霊としての Iーラマツダ、これと悪神との闘いとしても描かれているテーマです。
 さて、ほんとうにそうした善神と悪神とがあって、その力が互角であって、決着が出ないのだろうか。人類の歴史そのものを見たときには、常に善なるものと悪なるものがあって、闘争しつづけ、そして、決着が出なかったように見えます。
 ただ、私は、こうした二元的ものの考え方も、地上の人間を導いていくための方便としては、ひじょうに役立つものだと考えています。人は三つのなかから一つを選ぶよりも、あるいは五つ、十のなかから一つを選ぶよりも、二つのなかから一つを選ぶということのほうが、はるかに簡単であります。またその一方では、その決断の過程において、多くの勇気を必要とするものであります。イエスかノーか、全か無か、こういう決断と言うのは、きわめて基本的な人間的心理であります。ですから、こういう導き方によって、正しきものを教えていくというのは、方法論的には優れたものがある、というふうに私は考えます。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5885に対する返信です)


5887件目   神と善悪3   投稿者:TAO_0316   2001年9月11日 午後12時14分

 ただ、真実の神の世界から結論を語っていくとするならば、やはり、善悪の二元を超越した、一元的なる、大いなる善というものがあって、地上の人間の目に善悪と見えるところは、自由そのものに付随する属性が、違ったふうに見えていると考えていいでしょう。
 自由はその出発点において制限がないことをもって自由とします。制限がないことをもって衝突が起きることがあり、制限がないことをもって繁栄が興ることもある。すなわち、自由の繁栄の側面をとるとこれが善に見え、自由の衝突、あるいは相克の面を取ると、これが悪に見えるというふうになると思います。
 この悪の面は、普通、私達が知っているところの反省であるとか、回心であるとか、懺悔であるとか、そうした過程を経て許しを得、善なるものに転化するという過程が、もはや当然のこととされています。
 しかし、こうした心理が前提とされているということは、一定の時間を超えたときに、善一元であるというふうな思想になりうると思うのであります。部分的に小さな時間、人選の数十年というものを見たときに、善 ォと明らかに分かれるものであっても、長い長い過程において、時間の流れにおいては、悪なるものはすべて善なるものへと教導され、導かれているのだという考え方は、ひとつの一元論であります。
 だから、時間というものを認めたときに、そして神の目から見れば、長い時間も、人間にとっては無限に近い時間も、ほんの一瞬であるという思想をもってするならば、善しかない世界が展開されているのだと思えばいいと思います。
 ですから、悪について、さまざまな悩みがある方、悪の存在、悪の行為について許しがたいと思われ、そしてこの世に神はおられないのか、神や天使と悪魔の力は互角なのか、とさまざまな疑いを持っておられる方に対しては、私は、そう見えることもあるかもしれないが、時間の流れのなかでの許しという、そういう宗教的行為があることを知りなさい、許しというものがあるということによって、すべては善なるものへと転化していく過程ととらえられるのだ、そう言っておきたいのです。
--------------------------------------------------------------------
・・・すんげえ長い引用だけど、この神と善悪の問題は、
それだけ詳しい説明が要 驍チてことなんだと思う。
『太陽の法』をはじめ、他の本にも、このへんのことは、書かれている。
興味があったら、調べてちょ。
(これは TAO_0316 さんのメッセージ5886に対する返信です)


5894件目   Re:惨劇ですね   投稿者:TAO_0316   2001年9月12日 午後 1時39分

2ちゃんのコピペでごねんね。
---------------------------------
今回の犯人は、イスラム原理主義者の組織のものだろうという
意見が多いが、まあ、少なくとも、宗教がらみであることは、
ほぼ間違いないとは思う。
なぜならば、自らの命を捨てる覚悟をなすには、
信仰心なしには、まず、ありえないからだ。

日本にも、カミカゼ特攻隊というのが、あった。
人間魚雷というのもあったようだ。
それを、なしうる精神力は、よしにつけあしきにつけ、
「お国のために」「日本の神のために」という気持ちなしには、生じない。

人は、悪魔のために、命を捨てることはできないんではないだろうか。
唯物論のために、命を捨てることもできないんではない セろうか。
ただ、神のため、仏のためになら、命を捨てることも、
厭わない覚悟ができうると思う。

だとすれば、やはりこれは、イスラム圏の神とアメリカの神との戦いなのかもしれない。
ブッシュは、声明で、聖書を引用し、神の名のもとに許さないと宣言した。
しかし、国際貿易センターは、かつて、大川総裁がトーメンの社員だった時代、
仕事をしていた所だ。
それが、「ディープインパクト」や「インディペンデンスデイ」の映画のシーンのように、
見事に崩れ去ってしまった。
これは、幸福の科学寄りに考えれば、「仏の加護は必ずしもアメリカにはない」
ということなのかもしれない。

テロリズムは、決して許されるべき行為ではない。
そのことは、当然として、ある。
しかし、アメリカもまた、同等の行為を、他民族にたいしてなしてきたのではないのか?
かつて、アメリカ原住民――WASPはそれを勝手にインディアンと呼んでいるが――
彼らに対する行為は、テロ行為より人道的だったのか?
そして、アフリカの黒人の奴隷狩り、これはテロ行為ではなかったのか?
広島や長崎に対する攻撃は、テロによる大量 E戮に匹敵するのではないのか?

これらの行為に関して、アメリカが真に反省したことが、あるであろうか?
アメリカという国は、建国以来、反省ができない国なのである。
というか、反省したが最後、そのレーゾンデートルがなくなる国なのだ。
そして、そのアメリカは、イスラエルという国をバックアップしている。
私から言わせれば、イスラエルは、国家そのものがテロリストだと思う。
中東とアメリカ、イスラエルは、どのみちいつか決着をつけなければならんのだろう。
--------------------------------
・・・なぜ、神がこのような行為を放っておかれるかというのは、私にはわからん。
神のプランなのかもしれません。
預言者のイエスが殺されるのも計画だったといわれるぐらいですから。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ5893に対する返信です)


5899件目   CIAKGBDEAさんへ、お返事   投稿者:TAO_0316   2001年9月12日 午後 3時11分

>やはり神の教えって目には目をなんでそうか。。

うーん・・・砂漠系統の神は、そういう傾向があると教えられています。
もちろん、オイラには、認識を超える話です。

>神の計画なら人間の命なんて。。。そう言う事ですか?

これもねえ、神様じゃないから、わかんないとしかいいようがないんだけど、
でもねえ、大川総裁が『罪を許す力』でも、おっしゃっていたように、
今、日本で自殺する人は、年間3万人ぐらいいるそうだ。
交通事故で死ぬ人は、1万人。
だから、ある意味、日本では戦争やっているようなもんだと言うんだな。
もちろん、そういう状態を回避するために、どうしたらいいかということを、
その『罪を許す力』では、おっしゃっているわけだけども。

で、私自身に関しては、「死」そのものに対しては、あまり抵抗感はないです。
たぶん、魂は不滅で、あの世はあると思っているから。
まあ、地獄に落ちるかもしれんが(笑)。
ただ、死の際の苦痛があまり大きいのは、いただけない。
あと、充分、自分が世の中に貢献して、使命を果たせず、死んでしまうのも
ちょっと情けない。

神は、ときにこの世を大きく変化させるために、天変地異や戦争で
一気に人を死なせて オまうことがあるようです。
「むごいことをする」と思われるかもしれませんが、
あの世の自分が本物であり、この世はあくまでも仮の修行場だと考えると、
また、違う時代に生まれ変わればいいことだ、というふうに思えたりします。
もちろん、人を殺したりすることは、原則的にはよくないことです。
その人のこの世での人生計画をシャットしてしまうし、
殺されるときの恐怖や苦痛を、魂に刻んでしまうからです。

ちょっと、文章まとまりませんが、とりあえずこんなところで。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ5896に対する返信です)


5925件目   Re:Taoさんレスどうも   投稿者:TAO_0316   2001年9月14日 午前11時30分

>この神々は真の神である大川さんの配下じゃないんですか?
>彼等を指導してるのも大川さんなのでは?
>真の神である方でもコントロールできない。。。

指導はしているとは思います。
喩えでいえば、内閣総理大臣と各省庁といったところか。
最終的な権限は、総理にあるが、
かといって、なにからなにまで、意のままに大臣や官僚をあやつれるわけではないと、
こんな感じなのかな。

>罪を許す力って言うのを学んで理解すれば、
>決して事故にはあわないって書いてあるんですか?

これは、私の説明不足でした。
『罪を許す力』では、主として、自殺してしまう人のための処方箋のようなことを、
述べられています。
ただ、交通事故に関しても、他の法話で、
「交通事故を無くすために、じゃあ、自動車をなくせばいいかというと、
そういうことではない。
やはり、自動車が発明されたことにより、より生活しやすくなっていることは事実だ。
だから、自動車そのものを否定するのではなく、より事故が少なくなるように、
自動車の安全性を高めたり、道路を整備したり、
安全運転の教育を強化するなり、工夫していくことが大切だ」
そのようなことを言われていた。
まあ、あたりまえのことなのですが、
要するに、オールオアナッシングで考えすぎないことだ、ということです。

>>たぶん、魂は不滅で、あの世はあると思っているから。
>私も多分そうだと考えています。

あなたの今までの投稿を通して読むと、霊の実在、あの世の実在は確信しておられるようです。
ですが、それを統率する「神」とか「仏」というのが、どうも納得いかない、
というところなんではないかと思います。
ここで、あなたに参考になりそうなことを言うとすれば、
「神」もしくは、「仏」という概念には、幸福の科学的には、大きく二つに分類され、
ひとつは、「高級霊」といわれる、地上に人間として出たことのある、
徳高き霊人であり、もうひとつは、「根本仏」「根本神」もしくは、キリスト教系でいわれる
「造物主」と呼ばれるものであります。
この「根本仏」は、もはや人間的な喩えが通用しないものであり、
「法則性そのもの」「宇宙のエネルギーの源流」のようなものだということです。
私も、もちろん、完全なイメージができません。
それが理解できたら、この地上で修行する必要はないでしょう(笑)。
ただ、つきつめていけば、そのような存在がありそうだぞ、とは思います。
別に、無理に大川隆法に賛同していただかなくてもよいと私は思ってますが、
その辺のところを、少し自身で考察されることをおすすめします。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ5900に対する返信です)


6054件目   morikawa_45さんへ   投稿者:TAO_0316   2001年9月21日 午前 9時12分

2ちゃんねるの「幸福の科学現役会員スレッド」においでやす(笑)

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=998987364&ls=50
(これは morikawa_45 さんのメッセージ6053に対する返信です)


6096件目   光り輝く女性たちのために   投稿者:TAO_0316   2001年9月23日 午前 2時34分

こんちは、始めまして。坊ちゃんです。

女性の生き方に関しては、『光り輝く女性たちのために』という法話が
たしか、1997年か1998年にありまして、法の修正がなされています。

以下、私がメモしたものの抜粋
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幸福の科学も日本を代表する教団になりました。
女性の法をイノベーションしないと世界宗教として厳しいのでは。
今まで女性は補助者として家庭を大切にしなさいと説いてきた。
これは間違いではないが、全世界の女性に対しては厳しい。
本来、女性ひとりひとりに合った教えを説かなければ。

今、変えていかなければならないことは、
女性が女性であるということだけで不利益になるということのないように。
当会も、いろいろ話を聞けば聞くほど、男尊女卑である。
男が男であるというだけで優位になる。
これは、真に男性的でない男性が、女性は下だという。
男性的で指導力のある人はそんなことは言わない。

女性は女性らしく仕事してよい。
美しくてよい。ファッショナブルでよい。
今までは美しくないように、という指導なされ、
きれいでなくなると修行進んだとみなされた。

人類の半分は女性で半分の責任を負うのであるから、
女性は女性として生きる権利ある。
教えの半分は女性のもの。若干、法を変更した。
インド、中国では女性を下におくが、欧米圏ではその考えは認めてくれない。
間違いではないが不公平。

一律こうしろということはない。
選択の幅があってよろしい。
結婚して子供つくるのもよろしい。
結婚しないのも、子供がいないのもよろしい。

かつて女性を守る側面が多かった結婚制度も、
現代のように女性の社会進出が多いと、縛る部分も出てきた。
仕事に一生懸命励んだ人が、いつのまにか30代40代になっていた。
こういう人に苦しみをつくっている。
結婚退職的な考え方は必ずしも賛成ではない。
仕事を取る人がいてもいい。

結論的には、21世紀以降は女性が半分は認められなければならない。
それによって、一部、不幸な男性があらわれても、仕方がない。
人類の半分の責任、幸福の半分は、女性の手におちるように。
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(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ6093に対する返信です)


6118件目   yukisan_kokodokoさんへ   投稿者:TAO_0316   2001年9月24日 午前11時42分

別に反論というわけではないんだが、
女性の生き方等に関して、わたくしなりの意見を述べてみたい。

まず、現代女性がどのように生きるべきかというのは、
「ユートピア論」に属するものであります。
これは、大川総裁もおっしゃっているように、
その時代時代に合わせて、変化していくものであると認識しています。
いつの時代でも変わらないのは、心の法則や霊的世界を含めた縁起の法など、
「久遠の法」であります。
最近の月刊誌は読まれていないかもしれませんが、
大川総裁は「幸福の科学」は原理主義ではないと、明言しています。
釈迦教団も、時代が下るにつれ蓄財等に関する戒律を弱めていったそうです。

現代の日本をはじめとする「先進諸国」といわれる国々では、
科学技術が発達して、生活が非常に便利になりました。
全自動の洗濯機や電気炊飯器などが完全に普及して、
主婦業は、50年前にくらべて、
たぶん3分の1ぐらいの労力でこなせるようになったのではないか。
ですから、その余力を使って、より社会に貢献する仕事をしたいと思うのは、
仕事能力の高い女性としては、当然おこる欲求です。

大川総裁が、家庭や子育てを大切にするように力説するのは、
主として、子供が辛い思いをしないようにしたいからだと思います。
アメリカで、残酷な犯罪を犯すひとの多くは、
子供の時に悲惨な家庭生活を送っているようです。
親が離婚再婚をくりかえし、いつのまにか生みの親とは全然関係ない人に、
育てられていたりします。
その人たちが、愛情を持って育ててくれれば、まだよいが、
邪魔もの扱いしたり、さらには虐待されたりしたら、
まともな人間性を身につけられないのもしかたがないと思います。
そのような育てられ方をしたら、私も連続殺人の犯人になってるかもしれません。

この地球の人間は、女性が妊娠・出産するように肉体が造られてしまっているわけですから、
育児に関しては、どうしても女性が占めるウエイトが多くなります。
また、妊娠中の女性はどうしても行動が制限されてしまいますから、
その間の会社仕事は無理ができなくなる。
そこで、子供を産まない女性が出てきてもいいとは思いますが、
みなが、子供を作らなくなると、少子化が進み、社会に活力がなくなってきます。

もしかしたら、将来において、胎児を子宮のなかで育てるのではなく、
カプセルのようなものを使って、そこで育てるようになるのかもしれません。
そして、プラトンが説いたように、家庭で子育てするのではなく、
国家が子育て機関のようなものを作って、そこで一括管理することになるかもしれない。
ヤマギシ会などは、そのような実験を行っているようだが、
まあ、うまくいってるとは思えない。
現時点では、私個人としは、そういうやりかたは、生理的に受け付けない。

ちょっと、論旨が途中で空中分解してしまった(笑)。
とりあえず、こんなところで。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ6105に対する返信です)


6144件目   yukisan_kokodokoさんへ   投稿者:TAO_0316   2001年9月25日 午後11時13分

ていねいにレスしていただき、ありがとうございます。
あなたのご予定だと、今月いっぱいで、このトピも閉じてしまうようなので、
その間、女性がより幸福感を持ち生きられる社会制度やライフスタイルについて、
論じられたらと思います。

たくさんの事柄を書いておられるので、
詳しくは、少し、考えをまとめてから答えたいと思いますが、
育児と仕事の両立に関することは、あなたのおっしゃっていることに
異論はありません。

幸福の科学で、子育てとそれ以外の仕事を両立している、
もっとも代表的な例は、なにをかくそう、
大川きょう子アフロディーテ会会長だと思います。
ですから、育児と仕事を両立させていくことを理想にするのは、
素晴らしいことだと、幸福の科学は実例をもって示しているということになります。

ただ、きょう子先生は、どちらかというと、
今はやりのSOHOとかに近い仕事形態なんだろうと思います。
それと違う仕事の仕方の問題点等については、
また後ほど、カキコさせていただきます。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ6137に対する返信です)